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社会人になってから環境を変え続けてきましたが、やってよかったと思う

こんにちは、Kayoです。今日はBONLOGの200記事目ということで、これまでの私の社会人になってからの約5年間の軌跡をつらつらと語っっていきたいと思います。

 

新卒の会社で悩んでいる人、人生でやりたいことがイマイチよく掴めないな・・・という人は参考の一つにしていただけたら幸いです。

 

社会人になってから環境を変え続けてきましたが、やってよかったと思う

 

 

現在から過去へ振り返っていきます

これまでの経験を語るときって、よく「幼少期は・・・」「次に小学生時代・・・」とか時系列になりがちですが、それだと語り手を知らない読者の方はつまらないですよね。

だから今の私から遡る感じでお伝えします。

 

現在は大阪で会社員

現在わたしは社会人として5年間過ごしました。航空会社で総合職をやっています。家は一人暮らし@大阪です。

今の会社は働いて1年半。最初は1年もいるつもりはなく、「ちょっと組織で働いてみたいと思い」ましたが居心地が良くて・・・

手取りは年齢平均以上だし、残業は10時間以内だし、航空会社という利点で飛行機が格安で乗れるから旅行好きのわたしには申し分ない職場です。

 

大阪に来たのは旅先の着地点だったから

大阪に住み始めたのは2年前から。人生プランで大阪に住む予定はありませんでしたが、2年半前からスタートした旅を半年間終えて、着地したのが関西空港。その時に泉州の程よい田舎感が好きになったし、お金もなかったのでそのまま空港近くに住み始めました。

 

約9ヶ月間の旅

大阪で働く前は旅をしていました。東京での仕事を辞めてまずは高知県へ行き、山の中の一軒家を借りて3週間一人でこもってみました。ちなみに高知県に縁もゆかりもありません。知らないところだからこそ、一人で過ごすとどうなるか試してみたかったんです。ただ高知県自体が素敵すぎて帰りたくなくなりました。

その後、旅精神に火がついたわたしは国内巡業を始めました。お金は少しでも稼ぎたかったので、フリーライターなども行い、各市町村に行きインタビューをしてその市町村の魅力を伝えることをやっていました。

そうそう、リゾートバイトもやってみました。3週間のリゾバを3つほど。スキー場とテーマパークを2つ。

 

 

次に海外に行きました。とりあえずニュージーランドのワーホリビザを取り、オークランドへ行きました。そこで1年間過ごしても良かったのですが、思った以上に寒くて楽しめなかったのでそのまま北上し、オーストラリアのブリスベンへ。

ブリスベンは思った以上に最高で、「ここでこのまま住みたい!でもビザ持っていない・・・。とりあえずビザ申請するために帰国がてらバリ島でも寄ろう」と思い、今度はインドネシアバリ島へ。

 

バリ島についたら空港でタクシー運転手達に囲まれ、そのまま半強制的に乗せられながらも予約していたホステルに連れて行ってもらいました。ホステルは1泊600円、夢のような物価の国ですが野犬が怖い私にバリ島は合わず、10日ほどで今度はマレーシアへ。

 

マレーシアはクアラルンプールという都会に行ったため、とても綺麗でそれなのに物価も安く「しばらくクアラルンプールに住むのもありだな」なんて思っていました。

プラプラ海外を一人旅していましたが、「ただ旅するだけじゃつまらない。何か仕事になることをしたい」と思い、ビジネスチャンスを求めるため一旦日本へ。

そして今の大阪にたどり着きました。

 

旅の前は六本木でシェアハウス

高知県に行く前は六本木で働いていました。ワインが好きだったのでフレンチレストランでソムリエとして修行していました。

その頃の住居は職場から徒歩6分のシェアハウス。六本木の中心地なのに家賃光熱費含めて4万3千円という破格。というのもシェアハウスというかシェアルームな家で、1部屋を6人でシェアするというタコ部屋状態。

 

プライバシーがほぼない世界で1年間過ごしていました、が意外といけるものでしたよ。

 

東京にいる時に今もやっているブログとYOUTUBEでのゲーム実況などを始めました。理由は「心が叫びたがっていた」からです笑

 

想像してみてください。毎日11:30から夜中の12時までレストランで働き、帰れば6人部屋の1つのベッドで眠る・・・。シェアハウスの人たちはいい人ばっかりで夜な夜なおしゃべりできたのが救いでしたが、やはり「プライベートがない」という状況は人に「発信する」欲求をもたらすのでしょう。

 

ブログとYOUTUBE、むちゃくちゃ楽しかったですね。

 

 

東京に来る前は地元でシステムエンジニア

じつは東京のソムリエ職は新卒ではありません。新卒は大学時代から住んでいた福岡でメーカーのシステムエンジニアをしていました。2年間くらい。

システムエンジニア時代は月の残業時間が30〜50時間ほど。今の航空会社の「多くて残業月10時間」に比べたら比になりません。

 

会社はしっかりとしたメーカーだったので、福利厚生はバッチリでした。少ない手出しで広い部屋に住める。おまけに幸か不幸か残業代もしっかり出るので、貯金はどんどん増えていきましたね。

ただ、いくらしっかりとした会社で好条件で働いていても私の中にはいつもモヤっとしたものがありました。その理由は後述します。

そのモヤっとした感情のおかげである時「えいやぁ!」と会社を辞め、東京に転職したというわけです。

 

 

転々とした5年間、すごく長かった

この5年間、私にとっては20年間くらいに長かったです。今でも「あ、そうか私はまだ20代か、もう40歳くらいな気が。。。」という不思議な感覚に見舞われます。

 

この5年間、色々とやってきました。いわば「自分の壁を破り続けてきました」5年前の私は想像もできませんでした。ただ、壁は破り続ければどんどん破るのが簡単になってい区ことを実感してきました。

 

以下、高かった壁を紹介します。

 

ハードル1:新卒の会社を辞めたとき

新卒の会社を2年で辞める時は「むちゃくちゃ勇気がいりました」。転職することに「会社の人はどう思うだろう」というのが一番大きな悩みでした。

 

ハードル2:ブログやYOUTUBEを始めたとき

次に高いハードルは「ブログやYOUTUBEなどで不特定多数の人に何かを発信した」ときです。その時は若くて自意識過剰で、「私の発言で何かが狂ってしまったらどうしよう」とドキドキでした。

 

ネット上で発信したことがない人は今でもこの感覚を持っているかと思いますが、ネットはそう簡単に炎上しないから大丈夫。ネット配信を始めたことで、今までの自意識過剰が解消されていい効果でした。

 

ちなみにネット配信を始めたことは、東京での仕事を辞めて働くのを一旦ストップした時より何倍も高いハードルでした。この時私の中で「働くこと」に対して何か自由な考えが生まれてきていたのは確かです。

 

 

ハードル3:旅を辞めたとき

働くことを辞め、旅を始めたことは私の中で高いハードルではありませんでした。むしろ「今行かないでいつ行くんだ」という、逆に旅をしないことへの恐怖心がヤバイくらいありました。

 

逆に、「旅を一旦辞めて、やりたい仕事を見つけよう、お金もちょっと貯めよう」と思って日本で働き始めた時がすごく怖かったです。それは恐らく「昔みたいな、自分で考えられない状況になるんじゃないか」と思いました。

 

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結果を先に伝えると、あの時から2年近く日本で働いていますが、昔のような考え方に戻ってしまうことはありません。もちろん、それに近い感覚になることはありますが、ちゃんと元に戻ります。

抽象的で伝わりにくいですがつまり、たとえ似たような環境に戻ってもその時の私の考えに戻ることはなく、いろいろと経験した結果の新しい考えが身につくということ。

 

だから変化を楽しんでいろいろ挑戦した方が人生楽しいんじゃないかなーと思います。論理が飛躍してますか?自分の中では論理的になっているんですが、それを言葉で表すのが難しい。これでもだいぶ説明できるようになったんですよw

 

でも、やっぱり年上の人たちに「その歳でいろいろ知っているね」とか「面白いね」と言われて可愛がってもらえているのはいろいろ経験したからかなと思います。

 

以上がざっくり社会人になって5年間を振り返った結果です。やっぱり、たくさん挑戦すると器が広くなるというか、仕事や人との関わりに対する見方は明らかに変わりますね。

 

その分、細かいところで右往左往している人を見ると「一体何を悩んでいるの?」と意味がわからず、心無い言葉を言ってしまったり、これまで付き合っていた人たちと共感できなくなり、昔の人間関係と一緒にいるのが辛くなったりと、寂しいところもありますよ。

 

だったら新しい人間関係を作ればいいんですがね。そこをドライにさらっと乗り換えられない私も「人間だなぁ」なんて思ったりします。

 

ちょっとこの話、もうちょっとしたいので続きは別の記事で書きますね。

 

次回⇨(執筆中)

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bonkayo
SE、ソムリエ、旅人、フリーライターを経て、フルリモートで会社員中。2歳娘と夫と3人暮らし。