【心理】遠くのものを追わず、今あるものから感謝する

【心理】遠くのものを追わず、今あるものから感謝する

「いっや〜〜〜、なんか違うよな〜〜」

 

転職活動をしている最中、SUUMOで新居を探している最中、私の頭にこの言葉がよぎる。

 

「なんだ?何が違うんだ?大人として働いて、家を借りるのは当たり前だろう?」

 

と、理屈でわかるが足が動かない。心が納得していない。

 

というモヤモヤを最近感じておりました、Kayoです。今日は心について話してみようと思います。今日もとりとめのない文章です。旅行の話は出てきません。心理的な話がお好きな方はどうぞ。

 

遠くのものを追わず、今あるものから感謝する

 

心が納得していないけど、「世間的にやったほうがいい」と言われているものをやろうとすると、必然的に「頑張る」ことになる。

例えば今回の私みたいに結婚を機に引っ越しして、同時に新しい職場を探すなど、もともと「転職したい」というモチベーションじゃないのに転職活動するのはけっこうツライ。

 

自分が納得していないものに頑張ると、今度はイライラする。周りに頑張っていない人がいるのを見ると腹が立ってくる。

そうすると人間関係がギクシャクする。自分の顔つきも怖くなってくる。さらに自分から人は遠のいていく。

 

正直、最近の私はこんな感じだった。

より良い条件で働くために、職場に弱みを見せず、駆け引きをしていい労働環境を獲得する。

そーいうのが好きな人はいいだろうけど、私は甘ちゃんだからトコトン苦手だ。そこで私はあきらめた。自分を大きく見せることを諦めた。人に弱いところを見せると、意外と人から応援されたりする。愛される。そうすると物事がうまく進む。

 

人は、自分を笑わせてくれる人よりも、自分の話で笑ってくれる人を好む。すごいやつより、ポンコツだけど可愛げのある人を助けたくなる。応援したくなる。そういう人の周りに人は集まる。

 

あなたはどっちのタイプだろうか?仕事がデキるタイプならバリバリの環境で切磋琢磨したほうがいい。逆に私のような甘ちゃんタイプなら正直に周りの人に甘えたほうがいい。

 

ここで勘違いして欲しくないのが、甘えるのと依存するのは全く違うもの。

甘えるのはあくまで能力的な部分であって、できないことを他の人にお願いすること。

依存するのは誰かに自分の人生全てをお世話してもらうようなもの。

これは似て非なる。甘えるのは、あくまでも「私はこれがしたい」と自立している前提で、目的を達成するために部分的に人に甘えるのだ。

 

感謝すれば気持ちが楽になる

心がイライラ、不安な時にきく特効薬がある。それは、

周りに感謝すること

もう、すべてに感謝なのだ。家族にも、職場にも、通勤電車にも、コンビニにもすべて感謝の気持ちを持つと、人生がすっごく軽くなる。

 

例えばあなたはお腹が減ればお店でご飯が買える。でもお店がない地域だってある。それに簡単にお店は作れない。

仕事がなければ一時的にストレスから解放されるだろう。でも仕事をしないとお金は入らないし、好きなことができない。それにお金を生むシステムを作るのはそう簡単ではない。

家族がうざったい時もある。でもずっと一人だと寂しくならないか?

 

私たちの周りのものは時に面倒くさい存在だ。でもそれがそっくりそのまま失くなったら、きっとあなたはまたそれに似たようなものを探すんだ。家族を失ったら今度は寂しさの穴を埋めるため、友達を探すんだ。

 

失ったものをまた取り戻したり代替のものを探すのは手間だし、また一からスタートすることになる。時間がかかる。

 

人生において「失う」体験をすることは大事だ。でもそれは数回でじゅうぶん。ずっと「得ては失って」を繰り返せば、前に進んだ感じがするけど実際はほとんど進んでいない。

 

今あるものを感謝して利用する

自分の周りにあるもの、人、機会に感謝しよう。あなたが「ありたい状態」になるためには、今ある周りのもので達成できないか?

たとえばリラックスしたくてリゾート地に行きたいけど、50万円かかる。そのためには今の2倍働く・・・

そんな無理をしなくても、そのリラックスは動物園に行ったり、温泉に行って癒されることで代えられないか?部屋をリゾートホテル風にアレンジしてみるのもいいだろう。

 

「もっとバリバリ働きたいから、よりチャンスのある会社に挑戦する」その挑戦はいいが、まずは今いる会社でチャンスを掴んでみないか?一通り挑戦した後に他の会社に挑戦しても遅くないのでは?

 

人は行き詰まると、遠くのものが羨ましくなる。テレビで流れるヴェネツィアの美しい風景を見て、「あんな生活がしたいな・・・お金があったら・・・」と思う。⬅︎でも当たり前だが現地の人は現地の人で苦労がある。ヴェネツィアはシーズンによって毎日家が浸水するんだぞ。カビとかネズミの集団とか、日本で悩まなくていいことに現地の人は悩んでいるんだ。

 

「楽して暮らしたい・・・」⬅︎だれしも小さい時は働かずに生活していたよね。でも小さい時に「自分で働いて自由に生活を作りたい!」と思って勉強して、いま仕事をしているんだよね。決して「全く働かずに毎日のんびり暮らしたい」わけではないよね。(一部の人はマジでそうかもしれないが)そう思うことって多分、ちょっと疲れているだけなんだよ。

 

「幸せは案外近くにある」

日常から素敵なことを見つけて、幸せを感じるスキルが最強だと思う。私は訓練した結果、わりとどんな苦境でも幸せを感じられるようになった。それが好きな人の死の場面でも。

でもそれは自分が健康であるのが大前提。疲れていると、幸せな考え方はできないな。だから健康であることが、一番大事なんだよなぁ。

 

以上です、今日もブログ読んでいただきありがとうございました。最後に私のブログへの考え方が変わりつつあるからつづります。

 

正しいブログしか書いてはいけないという誤解

ブログって、正しいことしか書いちゃダメだと思ってた。でも、誰でも意図せずに間違ったことを書くことはあるし、そもそも「生き方」に正解はない。

 

「キャリアの積み方」もそうだ。刻々と変わりゆく世界のこの瞬間を生きている現代人が、今の私たちが選択するべきキャリアなんて今は誰にもわからない。30年後に何が正しかったのかがわかるんだ。

 

だったら、私たちができることは「なるべく勉強して、できる限り行動して、自分がいいと思う道に進む」くらいだ。

 

先のことを色々考えてしまうしっかり者のあなたは、もっと気楽に生きていい。

このブログを読んでいる人は、しっかりしている人のはずだ。

そんな人は「どうしたらいいか」を求めるのではなく「どういう状態でありたいか」を突き詰めよう。

 

頭が働く人はガチャガチャと自分の頭の中で考えてしまう。

でも一人で考えつめたところで、出てくる答えは完璧なものではない。

環境という前提は常に変わるし、予期せぬいいことや悪いことも起こるのが人生だ。

 

だから「これをする!!」という「WHAT」に固執するのでなく、一旦そのWHATに行き着いた「WHY」を考える。すると自分の「ありたい状態」がわかってくる。

 

今すぐにその「ありたい状態」になれないなら、もしその状態になった時に自分がどういう感情を抱くか想像してみる。

そして、想像したその感情を味わってみる。

そしたら今の自分が何をすべきかがわかってくる。

 

だいじょうぶ、ぜったいだいじょうぶ。