おはようございます。Kayoです。
昨日でホテル・ホステル暮らしも終わり、今日から15ヶ月ぶりの一人暮らしです。 さて、先日より始まった「私の壮絶インド体験記」、今日も少し続きを書きたいと思います。
関連: インドの何がそんなにすごいのか?衝撃的だったインド旅行①
インドの何がそんなにすごいのか?衝撃的だったインド旅行②
前回までのあらすじ
ひょんなお誘いから行くことになった女二人10日間のインド旅行。
福岡からデリーまでのフライト途中、時間があったので上海に立ち寄り、焼き小籠包やショッピングや超スピードの車と新幹線にはしゃいでいた私たち。やっぱり海外って楽しいなぁと思いながら、デリー行きの飛行機でゆっくり寝ていた・・・
デリーに着いた!
7時間のフライトを終え、私たちはデリーのインディラ・ガンジー国際空港に着いた。着いたのは夜中の2時。しかしコンコースにはフライトを終えた多くの乗客が歩いており、活気があった。
空港がめちゃくちゃカッコいい
入国審査っぽいゲートを何度も通り、1時間近くかけて外に出ることができた私たち。デリー空港は今まで私が見た空港の中でもかなり大規模で、夜中だったけどムチャクチャテンション上がった。
インドも上海に負けない頭文字D感
デリーでの宿は友達曰く、「私のインドの友達の別荘の運転手が迎えに来る」ということだった。
当時21歳の私はお金持ちワードである「別荘」とか「お抱え運転手」というのが感覚でピンとこなかったから、とりあえず誰かが迎えに来ると理解していた。
空港のお迎え場に行くと、すぐに細身で色黒の優しそうな男性がこっちに来た。どうやら彼がお迎えの運転手らしい。
私たちは車に乗り、別荘まで送ってもらった。車に乗って10分、時間は夜中の3時。フライトの疲れもあって私たちはまたウトウトし始めた。すると・・・
ギュイーーーーン!!
いきなり私たちは車のサイドガラスに「ゴンッ!」と頭をぶつけた!どうした!?起きて様子を見ると、運転手は急にアクセルを上げていた。
どどど、どうした!? よく見ると、後ろに乗用車がピッタリ1台くっついている。2車線になるとその乗用車が私たちの車の横に来たり、前に来たり。私たちの車の運転手も負けじと車線を変えたり、緩急をつけたり・・・・
何かトラブルでも起こったのか!?と思い、バックミラーで運転手の目を見ると・・・・彼の目は「とってもイキイキ」していた。
天職?な運転手
そう。彼はただただ空港通りの広い道でカーレースを楽しんでいたのだ。
確かに夜中で車通りがないから走りやすいけども、RoundPoint(信号がない代わりにカーブの時にグルッと円を回るタイプの道)の多い通りでアクセル全開やられちゃぁ、後部座席は遠心力で振り回されっぱなしです!
ギュイーーーン! ドンッ!
グイーーーッ!!キキーーーーッ!!!
私たちは全く寝ることなく、時速130kmの空港通りを楽しませてもらった。
友達の友達の別荘に着いた
そんな危なっかしいカーレースも無事故で別荘までつくことができた。
時間はもう4時。別荘で車を降りると、すぐに今度は太めの色黒の優しそうな男性が門を開けてくれた。彼は別荘のお手伝いだった。
すると運転手はすぐにまた車に乗り、家に帰って行った。
お抱え運転手とお手伝いさん、両方在籍しているのか・・・と思いながら別荘の中に入れてもらうと、広くて綺麗な別荘の奥に、現地の友達とおぼしき女性が2人座っていた!
めっちゃイイ感じのインド人の友達
彼女たちは「Welcome!」と言って私たちを出迎えてくれた。夜中の4時なのに待っててくれたのだ!
私たちはひとしきり挨拶した後、寝室に通してもらった。寝室は海外ホテルのツインルームの大きさで広々していた。私たちとインド人の友達はこれから5日間、この別荘で寝泊まりすることを聞かされた。
なんと5日間まるまる私たちのデリー旅行に付き合ってくれるというのだ!とにかく明るそうで優しそうなインド人の友達を見て、私は一気にテンションが上がった。
お手伝いさんが別荘を管理している
「未知の国、インド」といえど私たちが泊まったのは別荘。トイレもシャワーも清潔で、毎日お手伝いさんが私たちの部屋を完璧に掃除してくれた。そして毎日朝食と夕食も作ってくれた。
私たちが別荘にいる間は一日中家にいてくれたお手伝いさんだけど、彼は決してここに泊まっているわけではなく、毎日仕事が終わると帰るそう。
それに「誰も別荘に来ない日」でも、何かしら掃除やメンテナンスのために毎日出勤するそう。
超日本人の私はこの「お手伝いさんがいる」という感覚がしっくり理解できなかったが、とにかく「何か知らんけど、すげえな。」と思っていた。
デリー1日目スタート
インド到着日は朝方に眠った私たち。起きたのは朝の9時だった。
食卓に行くと、白いテーブルクロスの上にお皿が並んでいた。なんとも豪華だ。
というのも今さらになって気づいたが、インドの友達はかなりのお金持ちだったみたいで、一般的インド家庭とは全く違った生活を私たちは体験させてもらっていたらしい。
朝から生地をこねる
キッチンへ行くと、お手伝いさんが何やら綿棒で生地をこねていた。
これは”ロッティ”という、カレーにつけるナンよりインドでは一般的な炭水化物らしい。
お手伝いさんは一枚一枚ロッティをこね、それを油を敷いたフライバンで焼き上げていた。
この作業は朝からかまどでご飯を炊くくらいの時間のかかる仕事だ。
このロッティ作りはどの家に行っても手作りで行なっていた。一体何時から朝食を作っているのだろう、すごい。
典型的なインド朝ごはんを頂く
そして朝ごはんの時間だ。
出てきたのは、”マサラチキン”と”豆カレー”と”野菜カレー”と”フルーツ”そして”ロッティ”だ。
カレーを見たとき私たちは「おお〜、やっぱりインドはカレーだ!」などと興奮していたが、その時はまだ毎食カレーが出てくるとは私たちは思ってなかった。
カレーの味は日本にあるインド料理屋のカレーともまた違った感じで、「色んなスパイスが入った、スープよりドロドロしたもの」という感じだった。
ロッティはナンみたいに甘くなく、さっぱりした味だ。
ロッティを食べ終えるとお手伝いさんがすかさず「次のロッティお持ちしましょうか?」と聞いてくれて、なんだか毎日こんな暮らしをするのって考えられないなと思った。
朝ごはんは1時間半かけて食べた。
街に行こう!
朝ごはんもたらふく食べたし、さっそく街に出かけよう!
私たちは支度をして、外に出た。すると・・・・・暑い!!!昨日は夜中に帰ってきたからそうでもなかったが、朝のデリーの外はカンカン照りで焼けつきそうな暑さだ。
日本人の友達(友達が増えすぎてわかんなくなってきたので、S美とする。)S美はちゃっかりサングラスと日傘を持っていた。
この日照りのなか、私は生きて戻れるのか?と思ったが、とにかく送りの車に乗って、駅まで送ってもらった。
これが、友達の別荘
駅までの道中はガタガタで真っ白な道が続いた。サンサンの太陽に照らされ、本当に道路はまぶしかった。
駅へ着き、車を降りると、やっぱり暑い!!
ギョエーーと思いながら駅に入る。
駅はさっきまで私たちが通ったガタガタの道とは想像できないような、洗練された作りで、日本の都会の駅を想像させた。
電車の中もかなり綺麗で、「女性専用車両」の数が多かった。日本では女性専用車両に乗る女性もいれば乗らない女性もいるが、インドでは女性は必ず女性専用車両に乗る慣習らしい。
実はこのデリーの電車は日本が手がけたらしく、しかもまだ新しいからデリーの街に浮いたように洗練されているということ。インドに限らずアジアの鉄道は日本が作ったものが多いため、乗り方が似ていてとっても分かりやすい。
電車の中には老若女様々な人がいたが、年配以上の人はサリーを着ていた。逆に結婚する前の女性は私服だった。
それに当たり前だがみんな顔が濃い!!などと思っていると、インド人の友達が私たちの顔を見て、「ねぇ?なんでそんな日本人は顔が薄いの?」と聞いてきた。
知るか!
特にS美の方はかなり顔が薄くて、彼女の一重で薄い眉毛と薄い唇を見ながら、インド人の友達は爆笑していた。
失礼かもしれないが、でも確かにインド人の中にいると浮くくらいに日本人は顔が薄い。逆にインド人は見飽きてくるほど顔が濃かった。
ということで、デリーの街に着いた私たちはこれから外貨両替とショッピングに行く予定。
外貨両替は銀行へ・・・・と思っていたら、インド人友達は
「それよりいいところがあるから、こっちへ行こう」
と言って、私たちを地下へ手招きした。
薄暗い地下、インド、金・・・・さて、どうなることやら・・・。
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