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20歳、女ひとりアメリカ鉄道横断記。⑫ニューヨークのセントラルパークにウォール・ストリート、そして9.11跡地をめぐる

こんにちは、Kayoです。私は20歳のとき「一人で何かやってみたい」と思い、アメリカを横断することにしました。

第1話→20歳のとき、女一人でアメリカ大陸横断しました。①きっかけ編

 

鉄道で12,000km、約2週間を渡って見えたもの、そしてその全容をお伝えすることで、これからアメリカ横断してみたいという方の背中を押せたらと思います。

 

さて、話はもう終盤。シアトルを出発してゴールのニューヨークに着いた私は、2日目を迎えました。

前回

20歳、女ひとりアメリカ鉄道横断記。⑪12,000km、120時間の移動を終え、ニューヨークへ!!

 

20歳のとき、女一人でアメリカ大陸横断しました。⑫ニューヨークのセントラルパークにウォール・ストリート、そして9.11跡地をめぐる

 

 

セントラルパークで朝活を

朝だ。私はホステルの無料朝食の食パンを3枚かぶりつき、熱いインスタントコーヒーを飲み、りんごを2つ掴んで、セントラルパークへ向かった。

 

セントラルパークといえば、ニューヨークが舞台の映画やドラマには必ず出てくる、NYを代表する自然の広場だ。「パーク」を日本語で言うなら「公園」だが、アメリカのパークと日本の公園は規模が全然違う。

 

下の地図を見レバお分かりいただけるが、マンハッタンの1/3の長さに広がる緑の四角いゾーンがセントラルパークだ。南北4kmにまたがる。

 

上空写真で見るとこれだ。

パークといえど、中には湖のような池があったり、サイクリングコースもあったりで、1日アクティビティができる。まさに都会のオアシスだ。

 

当時の私はスマホもなく、インターネットで検索できなかったから、セントラルパークがここまで広いとは知らぬままパークへ入っていった。パーク北部から入っていった私は歩けど歩けどどこにもたどり着かず、諦めて一旦外に出た。

ずっとこんな風景が続くのよ。

 

 

電車でセントラルパークの中心部へ行く

セントラルパークを出た私は、パークの中心部へ行くため、一旦地下鉄に乗ることにした。同じ公園内を移動するのに電車を使うなんて、やはりパークの広さを感じる。

 

セントラルパークでホットドッグ!

セントラルパーク中心部の駅に着くと、急に人が増えた。セントラルパーク北部は閑散としていたけど、中心部は「ザ・マンハッタン」って雰囲気だ。

 

「セントラルパークといえばホットドッグ」というイメージがあるのは私だけか?私はおもむろにパークの前に店を出している小さなホットドッグ屋で2ドル50セントのホットドッグを買った。

そしてセントラルパークでほっそ〜〜〜いビルを眺めながらホットドッグにかぶりつく!!

 

アメリカのホットドッグはレタスなどは入っておらず、パサパサのパンにウインナーが挟まっているだけだ。野菜といえば、上に乗っている甘めのハラペーニョソースと、ジャムみたいなトマトケチャップぐらいだ。

※「ピザは野菜」サムネイル(失礼)

 

 

ホットドッグを食べていると、アメリカ名物「スクワレル」というリスちゃんもやってきた。

セントラルパークはあまりにも気持ちよくて、ホットドッグを食べ終えた私は大の字になって昼寝をした。もちろん貴重品も持っていたが、治安もわりかしいいので気にせず眠ることができた。

 

 

リーマンショック後のウォール・ストリートへ

さて、セントラルパークを出た私はマンハッタン南部の「ウォール・ストリート」へ向かった。

ウォール・ストリートといえば世界の金融の真ん中だし、リーマンショック後の状態が知りたくて私はまた地下鉄に乗って向かった。

 

地下鉄を出てしばらく歩くと、「いかにも」なウォール・ストリートが出てきた。

おお〜

「ウォール・ストリート」その名前の由来は知らなくとも、この写真を見ればだいたいの予想はつく。

 

 

高層のビルが間隔を空けずに立ち並び、その間を歩く者はまるで壁と壁の間をすり抜けているような、そんな圧迫感がある。

サブプライムローンの崩壊から端を発したリーマンショックから2年、いつもは賑わっているかもしれないウォール・ストリート。

 

だが私が行った時はビジネスマンは誰一人おらず、物々しさを増していた。それは休日だったからかもしれない。それでもこの静けさには一種の異様な空気を感じた

 

「物々しい」となんども言っているが、それが街自体のモノトーンなかっこよさを強調している。

 

 

ウォール・ストリートではかっこいい写真がいっぱい取れる。今で言う「インスタ映え」間違いなしな風景ばかりだった。

 

ちなみに観光者で「ウォール・ストリートへ行きたい!!」と言う人は少ないかもしれない。でも、この映画を見たら絶対にウォール・ストリートに行ってみたくなる。

 

 

ニューヨークに引っ越してきた友達と合流!

ウォール・ストリートを出た私はケータイにメールが入っているのに気づいた。

 

 「Hi, Kayo-chan 🙂 I am coming to you, where are you now? (こんにちは、かよちゃん。今から会いに行こうと思っているんだけど、どこにいるかな?)」 

 

メールの送信者は、2日前に私がFaceBookで「ニューヨークで泊まる宿がない!」と叫んだ時に「私、ニューヨークに引っ越しかたら、泊まる??」と、天使の提案をしてくれた友達だ。

関連:20歳のとき、女一人でアメリカ大陸横断しました。⑩シャーロッツビルで一服&ニューヨーク行きの準備

 

私はすぐさま「ウォール・ストリートにいる」と返事をし、彼女を待った。

 

 

ニューヨークで友達と合流

30分後、彼女と無事に落ち合うことができた。彼女の名はFaith。まさかシアトルで出会った女の子とここニューヨークで再開できるとは・・・と思うが、世界を旅していると国境を越えて偶然また会う・・・という人が出てくるので珍しいことではない。

 

Faithがニューヨークに来たのはほんの2週間前という。本当にタイミングが良すぎる。ラッキーだ。

ニューヨークに来たばかりのFaithはまだほとんどマンハッタンを観光していないらしい。だからここからは2人で観光することにした。

 

 

9.11テロの被災地へ

Faithはここニューヨークで行きたいところがあるらしい。私はそれについていくと、そこは「9.11」の被災地、そう「The World Trade Center (世界貿易ビル)」だった。

 

これが世界貿易ビルだ。

 

一度は崩壊したものの、今(2011年)は再建が進んでおり、元の形を取り戻しつつあった。

 

世界貿易ビルの周りには、被災して亡くなった人たちの写真や、家族や友達から亡くなった人たちへのメッセージ、そしてお花がところせましと並んでいた。

あの悲劇からちょうど10年。まだこのビルの周りは悲しみに包まれていた。

 

Faithがなぜここに来たっかというと、ちょうど飛行機がビルに突っ込んだ時、Faithのお兄さんがこのビルで働いていたらしい。

お兄さんは助かったそうだが、あの光景をテレビで見ていたFaith一家は気がき気ではなかったという。

 

 

教会へ

世界貿易ビル跡地と再建中のビルを見て、しんみりした私たちはこの流れで教会へ向かった。Faithは真摯なキリスト教者だが、最近は忙しくて教会に行けていなかったらしい。

 

私たちはウォール・ストリートに近い教会に向かった。

さすが教会はステンドグラスなどの装飾が綺麗だ。忙しいニューヨークにてひと時の静かな時間を過ごした。

 

 

ブルックリンでゆっくり就寝

さて、今日もマンハッタンをしっかり観光した。今晩から3日間、Faithの家にお世話になる。

 

Faithの家はBROOKLYNにあった。一人暮らしだが、2DKのアパートを3人でシェアしているという。

アメリカで1Rや1Kと行った一人暮らしの家はほとんどなく、2DK、3LDKのような家をシェアするのが一般的だ。

 

私は布団をもらい、リビングのソファに横になった。ちょっと乾燥機が回っているのがうるさかったけど、今晩も安心・安全に眠れることに感謝をしながら眠りについた。

 

 

ニューヨークに来て2日目。さすがニューヨークは見るものがたくさんあります。

次回は自由を求めて自由の女神様の足元に船で向かいます!→20歳のとき、女一人でアメリカ大陸横断しました。⑬ニューヨークで自由の女神に会いに、会い・・・あれっ?

 

全記事一覧はこちら→20歳の時、女一人でアメリカ大陸横断しました。

 

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bonkayo
SE、ソムリエ、旅人、フリーライターを経て、フルリモートで会社員中。2歳娘と夫と3人暮らし。