海外タビ

“オリエンタルヨーロッパ”ボスニアヘルツェゴビナを巡る ~恐怖に怯えた日本人とランチタイム、現地マダムたちに囲まれる~


 

こんにちは!Kayoです!今日は東欧トラベラーからの”ボスニア・ヘルツェコビナ旅”の寄稿です。「ボスニア・ヘルツェゴビナって、世界史の授業でしか聞いたことない!?一体どんな旅が待っていたのでしょうか?始まりまーす^^

 

“オリエンタルヨーロッパ”ボスニアヘルツェゴビナを巡る
~恐怖に怯えた日本人とランチタイム、現地マダムたちに囲まれる~

「これからのヨーロッパ旅行はフランスでもイタリアでもない東欧だ!!」

 

↑↑個人旅行を専門に扱う旅行代理店にそんなことを言われた。東欧はどうしてもユーゴスラビア紛争のように危険なイメージが付きまとう。だが、そんな危険な場所ではないし、今行かないと、その内フランスやイタリアのように海外に来たにも関わらず、あちこちで日本語が聞こえてくる不快な場所になるとのこと。勧められるがままに、ボスニアヘルツェゴビナ、クロアチア、モンテネグロの3か国を巡ることにした。外務省の渡航情報では黄色くなっていた。

 

 

~真っ暗な国際空港と暴走タクシー~

この旅の1か国目がボスニアヘルツェゴビナである。首都のサラエボ空港に到着したのは夜0時頃。最終便だったのか空港内がとにかく暗い。空港のエントランスはうっすらと照明の光があるだけで人も少なく、どこか不気味な雰囲気を漂わせていた。暗いし、人がいないし、ここは本当に国際空港なのだろうか?

まあ、まずは現地通貨のマルカに両替だ。トランジットしたウィーンで両替したかったのだが、マイナー通貨であるマルカの両替はしていなかった。空港の両替屋を使うしかない。だが店は閉まっていた。というか全ての店が閉まっていた。ペットボトルの水1本買うこともできない。いきなりまずいことになった。金がない。“一応ユーロは持っているし、カードもあるし何とかあるだろう。”そんな軽い気持ちで空港を出た。

とりあえずバスに乗るか、タクシーを掴まえるかしてホテルに向かおう。しかし、空港を出るとバスどころかタクシー1台止まっていなかった。何もかもが機能していなかった

 

 

 

 

ーーーーどうする?

 

見知らぬ国で夜道を歩いてホテルに向かうのは危険だ。空港で一晩過ごすにもこんなところで寝ていたら何が起こるか分からない。いきなり路頭に迷ってしまった。途方に暮れていると、1台のタクシーがやって来た。助かった。とりあえずボッタくられる覚悟でそのタクシーに乗った。車内はアラビア風ともインド風とも思われるダンスミュージックが大音量で流れていた。運転手もその軽快なリズムに感化されてか、どことなく運転が雑だ。

一般道にも関わらずメーターは100kmに迫ろうとしていた。するといきなり急ブレーキ気味に減速し、ハンドルを激しく回した。何だ?何だ?すると運転手が「Sorry. Sorry.」と言い車線の反対側を再び猛スピードで走り始めた。いわゆる逆走だ。「No! Stop! Stop!」と静止する自分に対し運転手は「OK! OK!」と言ってホテル風の建物を指差した。“お前の泊まるホテルはすぐそこだから大丈夫だ”と言いたのだろうか?そうではなく逆走しているのが問題なのだ

 

 

 

~様々な文化が交錯する首都サラエボ~

サラエボはボスニアヘルツェゴビナの首都である。街を歩いていると気が付くが、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教、セルビア正教などの様々な宗教が入り混じっている。それぞれの寺院が1つの街に存在するとても変わった風景だ。特にイスラム系の街並みが目を引く。サラエボ旧市街のメインストリートであるバシュチャルシヤでは、イスラム風の金属細工や陶磁器、宝石の店が立ち並んでいた。

ブラブラ歩いていると、どこからともなくコーランが鳴り響いてきた。きっと信者がモスクでお祈りを捧げているのであろう。かと思えば教会からは讃美歌が流れてくる。お互い特に干渉することもなく、互いの宗教を尊重しているのだろうか?まったく物騒な雰囲気にはならない。宗教がらみで戦争すら起こるというのに、この街ではまったくその様相はない。素晴らしいことだ。

 

 

 

 

~恐怖に怯えた日本人~

サラエボには1日だけの滞在予定であった。明日にはモスタルへ向かう予定であった。一応バスの時間を確認しておこうとバスターミナルで時刻表を確認していたとき、

 

「あのー日本人の方ですか?」

 

すっかり日焼けし、大きなバックパックを背負った青年が話しかけてきた。一目で分かるバックパッカーだ。どことなく何かに怯えていた。知らない人に話しかけるせいだろうか?

 

自分「はい、そうですよ。」

青年「良かったあ。やっと日本人と会うことができました。こちらで働いている方ですか?」

 

ジャケットを着ていて、ほぼ手ぶら姿の自分を見て現地で働いている日本人だと思ったのだろうか?

 

自分「いいえ。ただの旅行で来てます。明日モスタルに向かうのにバスの時間を確認してました。」

青年「ええっ!?良くこんなところ旅行で来ますね。」

 

そういうお前は何故ここにいる?と思ったが、何か救いを求めるような雰囲気を出していた。金でも擦られて困っているのか?あいにく自分も未だにお金が両替できず手持ちがあまりない。そう、昨日ホテルに到着するや否やパスポートを預けなければならなかった。両替所に行くもパスポートがないと両替してもらえなかった。

 

青年「これからどちらを観光されるのですが?」

自分「とりあえずお昼でも食べに旧市街に戻るつもりです。」

青年「じゃあ一緒にお供しても良いですか?」

 

しまった。適当な場所を観光するとでも言っておけば良かった。飯をおごる羽目になりそうな予感がしてきた。とりあえず、旧市街まで歩いていくのは面倒だったのでタクシーで行こうと、何も確認せずタクシーに乗り込もうとしたとき、

 

青年「ダメですよ!メーターがあるかどうか確認しないと!ボったくられますよ!」

自分「大丈夫ですよ。さっき旧市街からここまで歩いてきたので道を覚えてるし、変なことしようとしてもすぐ分かりますから。第一この辺りは物価が安いのでボったくられてもたかだか知れてますよ。」

青年「そうですか。でも気を付けてください。海外のタクシーはどうやって金をボったくろうかばかり考えてますから。」

 

いったいどんな目に遭ったんだ?ちなみにタクシーにボったくられた経験なら自分も何回もあるので今さら驚かない。

 

 

・・・・・

 

再び旧市街に戻り適当なレストランで昼食を取ることにした。改めて互いに自己紹介したのち、注文した川魚料理を食べながら旅の話をし始めた。青年は大学生で、夏休みを利用して1か月掛けてヨーロッパを旅しているのだという。

 

青年「いやーこの国は最悪ですよ本当に。人種差別が酷い。」

自分「そうですかね。そんな感じは受けませんでしたよ。」

青年「そんなことないですよ。気が付かないですか?ここら辺りアジア系の人ぜんぜんいないですからね。旧ユーゴスラビア圏の人々は民族意識が強いですから他人種をあまり受け入れないんですよ。」

 

そう言えば、世界中どこにでもいる中華系の人をまだ一人も見ていない。必ずと言っていいほどある中華料理店もまだ見ていない。

 

青年「自分は子供に何か叫ばれながら石を投げられました。それを見ている大人もまったく注意しないんですよ。ただ歩いているだけでですよ。」

 

あっ!?そう言えば自分もさっきバスターミナルでたむろしている不良少年らしき集団に声を掛けられたような気がした。面倒なので早足で通り過ぎた。あれはそういうことなのだろうか?自分も下手すれば石を投げられたのだろうか?食事を終え、学生に食事代を払わせるわけにもいかず、自分が奢ることにした。代わりに彼はパスポートを持っていたので、両替をしてもらった。ここで二人は別れることにした。彼はこれから隣国のアルバニアに向かい、そこからフェリーに乗ってイタリアを目指すとのこと。何ともマニアックなルートだ。無事に旅を終えてほしい。

青年と一緒に食べた川魚。あまり美味しくはなかった。

 

 

 

~悲しい影を落とす街~

再び一人となってサラエボの街を散策した。ユーゴスラビア紛争時にスナイパーの格好の餌食となったスナイパー通り、冬季オリンピック会場跡地、第一次世界大戦の引き金となったサラエボ事件が発生したラテン橋を巡った。何とも負の要素ばかりを含んだ場所が観光名所となってしまうこの街が悲しい。

極めつけは紛争で亡くなった人々の集団墓地だ。小高い丘陵地帯にあるこの墓地は、墓標を見て周ると若くして命を落とした人が大勢いることが分かる。悲しみでいっぱいだ。しかし、この墓地から眺めるサラエボの街の景色は最高であった。夕暮れ時に訪れたのだが、この美しさは格別であった。自分にとって忘れられない景色の1つになった。

 

 

 

~マダムに大モテ?美しき世界遺産の街モスタル~

この日は世界遺産のスタリ・モストがあるモスタルへ向かった。サラエボからバスで約2時間半で到着した。バスを降りるなり何故かマダムが殺到してきた。何だ?何だ?皆何やら部屋の写真を持って「Room!Room!」「Stay! Stay!」などと言ってくる。どうやら“部屋に泊まらないか?”ということだ。若い女性は一人もいなかったので、おそらくあっち方面の誘いではなかったと思う。そんな中、一人の若い中華系の女性が近づいてきた。

 

女性「その人たち相手にしたら危ないですよ!」

 

何だ日本人か、中国人だけでなく日本人も世界中どこにでもいるんだなあ。マダムに囲まれている自分を見かねて助けてくれたようだ。とりあえずその女性に言われるがままにマダムの集団を無理矢理抜けていった。

 

女性「この辺りは、自分の部屋を宿代わりにしてお金を稼いでいる人が多いんです。まともな部屋もありますが、中には悪質な勧誘もあるので気を付けた方がいいですよ。できればホテルに泊まるのが無難だと思います。」

自分「ありがとうございます。ホテルを予約しているので大丈夫です。」

女性「それは良かったです。それではお気を付けて。」

 

そう言ってその女性は自分が乗ってきたバスに乗り込んでいった。彼女ももしかしたら昨日会った学生さんのように酷い目にあったのだろうか?少し心配なってきたが、彼女に言わせればおそらく“あなたの方が心配だ”と思うだろう。

 

・・・・・・・・・・・

 

モスタル旧市街は、世界遺産であるスタリ・モスト橋を中心にノスタルジックな雰囲気漂う中東的な街並みが、ここがヨーロッパであることを忘れさせてくれる。古くは橋を境にイスラム教とキリスト教が分かれて暮らしていたが、互いにこの橋を行き来し共存していた歴史がある。その影響が今も残っており、街にはイスラム教のモスクとキリスト教の教会が同じエリアに存在している。

サラエボでもそうであったが、同じ街に違う宗教があり、互いに尊重しながら共存している。世界のどこかでは宗教、宗派の違いにより戦争が起こっているが、このような素晴らしい環境もあるのだ。見習ってほしい。一度橋は紛争で破壊されてしまったが、その後すぐに再建された。紛争の面影は、街を抜けるとすぐにその姿を現した。銃弾でハチの巣状態になっている建物が至る所で見受けられた。再建しないで敢えて残しているのだろうか?

この日はあいにくの雨であったが、雨の上がった翌日は空気も澄んでおり、その景色はより美しさを増していた。美しい街並みにエメラルドグリーンのネレトゥヴァ川が加わると、それはもう絵画のような美しさになる。いやそれ以上と言っても過言ではない。すっかり気分が良くなったところでこの街を去らなければならなかったのが残念でならない。次の目的地に行くため再びバスターミナルに向かうと再び部屋の写真を持ったマダムたちに囲まれた。もういい加減にしてほしい。

 

 

 

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

いやー、東欧名物のぼったくりや客引きがありつつ、紛争の跡地も影を落とす。でも見上げれば美しい色彩の自然と建物、そして穏やかに共生する思想と宗教がある国、ボスニア・ヘルツェコビナ。日本で味わうことのない気持ちになれますね。旅をしていて、しんみりになったり悔しい思いがあるのも、旅の醍醐味ですから。自分の身はしっかり守りながら、ボスニア・ヘルツェゴビナを散策したいですね。  by Kayo

 

 


ABOUT ME
bonkayo
SE、ソムリエ、旅人、フリーライターを経て、フルリモートで会社員中。2歳娘と夫と3人暮らし。